2016年06月05日

しのびね

 ある子供番組の中で歌われていた夏の唱歌!
 「うの花の におう垣根に 時鳥(ほととぎす)早もき なきて
 忍び音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」
 忍び音って・・・?

 そもそも、うの花は、匂いのない花です・・・が、
 そこは“匂うが如く匂う″という・・・

 「てっぺん かけたか」とか、「とっきょ きょかきょく」
 って聞こえるという、ほととぎすの鳴き声。
 実際に聞いたことのある人の話によると、
 「喉から血が出るように、けたたましく鳴き、“しのび”とは、かけはなれている」とか・・・
 
 本来、“ほととぎすは、<旧暦の五月の鳥>と認識されており、
 それ以前、つまり<旧暦の四月>に来てしまったほととぎすが、
 おおっぴらに鳴くことのできる<旧暦の五月>が来るまで、
 その時を待って、こっそり鳴くもの”と、間違って理解された結果、
 できあがってしまった言葉が、“しのびね”

 ほととぎすの忍び音とは、
 初音(初めて聞く声)でもなく、声をひそめて鳴くことでもなく、
 正しくは、立夏の前<旧暦四月(卯月)>に鳴くほととぎすの声のことをいう。

 夏の訪れを感じさせてくれる「夏は来ぬ」
 実は、この歌、歌詞が五番まであります。
 よくみてみると、難しい言葉がたくさん出てきます。

 子供のころ、ただ、何気なく歌っていただけのように思う・・・

 今回、
 ほんの少しだけれど、作者の、その“想い”に触れられたような気がします。

 謎解きのように、ひとつひとつ、深く検証し直してみるのも、
 いろんな発見があって、おもしろいかもしれませんね。

 


 
posted by nmdc-ki at 16:36| 日記

2016年05月06日

つくばい

 茶室に入る前に、手を清めるために置かれた、
 背の低い手水鉢のことを“つくばい”といいます。
 よく知られているのに、京都の龍安寺のつくばいがあります。
 
 つくばいに刻まれた四つの文字・・・
 「吾唯足知」(われただたるをしる)
 通称「知足のつくばい」と、言われています。
 その意味は、
 “ただ 常に足りている心だけがあれば十分である”
 という・・・

 更に、一歩進んで、
 「知足者富」(たるをしるものはとむ)
 “満足することを知っている者は、精神的には豊かで幸福である”
 ということを意味していると・・・
 
 これら(二つの)四文字が意味することは、
 先月、来日されたムヒカさんに通じるものがあるように思います。

 ホセ・ムヒカさんは言います。
 「幸せは、人間のように、命あるものからしかもらえないんだ。
 物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるものは、生きものなんだ」と。

 広島を訪問されて、
 「良心なき科学は、とてつもない悪の道具になってしまうことを
 私たちは知っておかねばならない」と、記されました。

 私たちが、愚かにも引き起こしてしまった悲惨な過去を、
 忘れることなく、今一度、しっかり目を向けて、
 認識を新たにする必要があるように思います。

 ムヒカさんが言うように、
 “人間は、同じ石でつまづく唯一の動物”なのだから・・・
 
 
 
 

 
posted by nmdc-ki at 01:10| 日記

2016年04月03日

沈丁花(その2)

 前回の沈丁花には、続きがありました。
 あれから一週間ぐらい後のことです。

 前を歩いていた一人のおじさんが、
 急に走り出して、公園を横切っていきました。
 んっ? ひょっとして・・・と、思いつつ、目で追っていると
 ・・・やっぱり!
 一目散に、沈丁花のもとへ・・・
 花木にたどりつくやいなや、鼻を近づけたのです。
 でも・・・
 花はついているものの、咲ききってしまったこの頃の沈丁花には、
 もう、あの甘い香りはしていなかったのです。
 このおじさん、よっぽど沈丁花の香りが好きだったのか・・・
 やにわに、その枝をガシッとつかむと、
 ユサユサと、ゆすりだしたのです。
 “こらこら、おっさん、何をする〜! それじゃあ、花木がかわいそう”
 気持ちはわからなくはないけれど・・・
 花を愛でるなら、それなりのマナ―も身につけないと・・・
 ねっ、おじさん!

 六甲道南公園では、今、桜が満開!
 毎日、たくさんの人たちでにぎわっている公園です。
 子供たちが走り回り、多くの人々が集う公園。
 あちらこちらで、色とりどりのシ―トが広げられ、みんな、くつろいでいます。
 そのすぐ横で、
 砂場の周りのごみを拾ったり、砂を掃いたりしている
 一人のおじさんがいました。
 公園が気持ちよく使えるのは、
 目立たない、こういった方々の努力のおかげだということを
 忘れてはいけませんよね。

 お花見のマナ―が問われる中、
 あらためて、ひとりひとりが自覚したいものです。


 

 
posted by nmdc-ki at 22:34| Comment(0) | 日記